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独学・自己流のすすめ

 

2017年8月2日 (2017年9月4日若干修正)

蓮 文句

 

何事についても独学や自己流に対する叱声を聞くことはよくあります。またこれらを賛美する意見も見受けます。初めに、これら両方の姿勢に対する当人の考えを書いてみます。

独学・自己流に対する反論の多くはその道の専門家やその道に秀でた人たちから発せられるようです。多くの犠牲を払って獲得した糧を誰でも簡単に自分で手にすることができるなどという主張に賛成する訳はありません。当然、彼らの言い分にも一理あり、人類が累積した文化を軽んじる必要は全くありません。同時に、目的や条件によっては独学・自己流を無視するわけにもいかないと思います。これは、私たちの身のまわりを見れば極めて自明なことであります。

また、反対に独学で苦労・失敗した人からも同様の結論を聞くことがあります。当然、独学・自己流には限度があり、容易ではありませんから、数多くの失敗例があるのも現実です。これが簡単だとか、誰でもできるというのは明らかに誤りです。

なお、人によっては独学と自己流を区別して、独学は正当な学習法に基づくので良し、自己流はこれを無視するから悪しということがあるようです。ただし、正当な学習法というものはっきりしたものではないので、ここではあまりこだわらないことにします。この文書全体を読んでいただいて皆さんに判断していただければ結構です。

独学・自己流を推奨する人たちの中には、自分たちの経験に快感あるいは自信を持ち、それを他人にも伝えたいと思う人、他人に享受して得意になりたい人、そして、独自の方法を売り込もうと人など様々でしょう。

かくいう当人も独学・自己流の恩恵を受けたものなので、当然それに対する快感や自信というものを持っています。それを否定することはできません。それに、独学・自己流の有効性を示すために自分の例をいくつか掲げようと思っています。しかし、ここでは、決して自分の独自の方法を読者に推奨しようというつもりはなく、また何も「売る」ものもありません。この文書は単に他の人にも独学・自己流の可能性を考えていただきたいという気持ちで書いています。

もう一点、分野や目的によっては独学・自己流はなじまない、不適切、あるいは不可能といったものもあるでしょう。ここで推奨するのは、そういった制約や厳しい時間制限がない場合に限られことになりましょう。

なお、独学・自己流といっても、何かを身に着ける一般的な要素は必要です。いや、教室等で習う時以上に必須だと思います。ここでは、次の三点を掲げます。(1)学習者が十分に動機・必要性を感じ、(2)適切な学習環境におり、(3)有効な学習方法を見出す能力があること。

第一に、当人のここ数年のピアノ練習の経験を紹介します。当人は小学校の時に1~2年ピアノを習ったことがあります。残念ながら、動機不十分で、全然練習せず、バイエルも終わる前に辞めてしまったと記憶しています。したがって、数年前に練習を始めたときは、全くの初心者といえます。幸い、学校の音楽のおかげで一応楽譜は読めます。そして、中学から50代まで、徐々に自分なりの音楽に対する好みができてきました。変な組み合わせですが、アルゼンチン、ブラジル、キューバ、ジャズ、そしてクラシックの極特定の音楽が好きです。そして、この間特に一曲どうしてもピアノで弾いてみたいと思っている曲がありました。ドビュッシーの「月の光」です。

約3年前、この気持ちが十分に強まり、手持ちの古い電子キーボード(鍵盤はスプリングのちゃちなもの)で練習を始めました。音楽家になるわけでもなく、制限時間があるわけでもなく、気楽なスタートでした。週に数時間の練習で半年ほどかけて、やっと最初の8小節を覚え、何とか弾けるようになりました。たったの8小節でも、大変気分が良いものでした。

それから、ほぼ毎日数時間練習するようになり、その後数か月で、最初の25小節(アルペジオが始まる前)を覚えました。ペースは遅いし、間違いだらけでしたが、何とか感じが出てきたかなという思いでした。この後、しばらくほんとのピアノで練習する機会があり、ますます意欲が湧きました。手持ちのキーボードは61鍵しかなく曲の全部の音を出せなかったので、88鍵の電子ピアノを購入して練習を続けました。その後数か月で、一応曲の全部を覚えました。それでも、全部弾くのに普通の2倍の10分程度かかっていましたし、間違いだらけでした。

それから一年、二年と同じ曲を練習し続けました。人にピアノを練習していると言うとまず必ずレッスンは取っているか、取らなければいけないと言われます。当人は全くレッスンを取らないので、この分費用がかからず、自分の好きな時に練習できて気が楽です。ただ、インターネットでペダルの使い方、ピアニッシモの出し方等調べたりはしました。そして、今では何とか弾けるようになったのです。まだまだ改善したいところが多々ありますが、多少感情の起伏を表現できるゆとりが出来てきたのです。というわけで、自慢話になりますが具体例があった方がよいと思い書かせていただきました。当然、ここに書いた特定の過程を推奨するものでも、何かを押し付けようというわけでもありません。ただ、この過程が、動機・環境・方法の三条件を満たしていたという点を強調したいと思います。尚、当人は自分の楽しみのためだけにピアノを練習しているので、人前で弾きませんし、弾きたいとも思いません。

第二に、当人の長年にわたる外国語習得の経験を紹介します。まず、日本のように単一言語で用が足りる国では外国語習得の動機が極めて弱いと言わざるを得ません。よっぽどのことがない限り、外国語を習得する理由がないのです。当人の場合、中学・高校時代にアマチュア無線を通して海外と交信する機会があり、英語その他の言語に興味を持ちました。特にロシアや南米諸国と交信するとき、あまり上手く英語を話せない人もあり、ロシア語とスペイン語を習おうと思ったものです。いくつかの言葉の発音を体系的に学ぼうとして、地元の図書館で音声学の本を借りたのが切っ掛けで、言語学の本を買い読み始めました。言葉に対する興味が非常に強まり、外国語を使う仕事をしようと考え始めました。また、技術系の専攻だったのでコンピューターで言語を処理したり、外国語習得の補助をするプログラムを作りたいとも考えました。外国語習得法についてもいろいろ読み、松本亨の「英語で考える」にも強く影響されました。大学時代、日常日本語を使うところを英語に置き換えようとし、読む・書く・聞く・話すの各分野で実行してみました。結果的には、外国語習得についても動機・環境・方法の三条件を満たしていたと思います。

第三に、当人の子供時代のスキーについての経験を紹介します。両親がスキー狂だったため、当人は2歳のころからスキーを始めたそうです。幼稚園の頃にはどんな斜面も平気で滑れるようになっていました。したがって、多くの人が経験するスキーの習い始めの苦労を知りません。歩くのと同様、気がついた時はスキーができるようになっていたのです。その後小学校時代はずいぶんとスキー学校に入れられたものです。おかげ、技術は向上し、フォームも極めて良くなりました。中学の頃には極一瞬全日本スキー・デモンストレータになろうかとも思いました(競技スキーに興味を持ったことはありません)。

こういうと、当人のスキー技術習得が成功例のように聞こえるかもしれません。ところが、当人にはそうは思われないのです。ずっとスキーをする環境にそだち、スキー教室を通して当時最先端のスキー技術を学んだにかかわらず、当人には自分自身から生じる十分な動機がなかったのです。世の中には、親に押されて幼少時から本格的な習い事に真剣に取り組む人がたくさんいます。当人もそういった人々を知っています。チャンピオン・ポールルーム・ダンサー、コンサート・バイオリニストなどです。ただ、当人にはどうしても腑に落ちないのです。この人たちは自分たちで自分たちの道を選ぶ機会があったのだろうかと。

当人の場合、スキーに対する興味は言語や技術に対する興味に比べてずっと少ないものでした。そして、スキーが親の影響で始めたものに対して、言語や技術に対する興味は自分の生活の中から自分で選んだものでした。結果として、成人してからはほとんどスキーをしなりました。

私たちの身のまわりには、たくさんの独学・自己流の体験例があると思います。ほんとに学んだことというのは人から習ったことでしょうか、それとも、自分で身に着けたことでしょうか。